愛犬と会話できたらいいのになあ
愛犬と話ができたらいいのになあ。
ドラえもんの「翻訳こんにゃく」があればなあ。
そんなことをふと考えてしまう瞬間ってありませんか?
夫婦二人と愛犬一匹のくらしの中で、つい愛犬と話している自分に
気づくことがよくあります。
それは、私だけに限ったことではなく、妻にも言える事なんです。
ついぐちをこぼして愛犬に聞いてもらったり
何気ない言葉を愛犬に掛けてみたり
人って話し相手を欲しがる生き物なんですね。
昔、何かの本か人づてに聞いたことがあります。
「人の三大苦は、食べられないこと、眠れないこと、そして、しゃべれないこと」だそうです。
妻との会話が特に少なくなったわけではありません。
でも一人で過ごす時間も少しずつ増えてきて、
常に夫婦で話し相手になっていることもできず、
そうしたすき間時間に
つい
愛犬に話しかけてしまうんですね。
だからと言って
愛犬に話しかけている自分を悲しく思ったり、もう二度と話しかけたりするもんかと決意したり
そんな風にはなれないんですよね。
いつかAIが話し相手になってくれる時代が・・・
「アレクサ テレビつけて。」
「アレクサ サザンオールスターズの曲を聞かせて。」
こんな会話をしたことがないわけではありません。
でも愛犬と会話できるような発明がされたらどんなにいいだろうと思う一方、
AIが人並に、もしかしたら人並み以上に話し相手になってくれる時が
もうそこまできているのかもしれないなあと思う時があります。
もしかして わたしが一人で生活するようになったとき
もしかして 妻が一人で生活するようになったとき
愛犬さえも飼う余力がなくなったとき
AIが親身になって話し相手になってくれるときがくるのかもしれない。
そのときAIは、どんな姿をしているだろうか。
AIの姿・形は?
AIの姿や形は、どんなものがいいだろうかと考えてみた。
妻の姿はどうだろう。
かつての愛犬の姿だったらどうだろう。
昔の、若かったころの妻の姿だったらどうだろう。
昔の、エネルギッシュな自分の姿だったらどうなんだろう。
やっぱりロボットがいいのだろうか。
味気ない機械部品のような形なら、話しかけるのをやめてしまうかもしれない。
いやいや
その日の気分で姿・形を変えられるのがいちばんいい。
そんな技術が進んだらいいのになあ。
ぜったいにそんな時がきそうな予感がする。
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