先日、新聞の夕刊に、評論家の川本三郎さんが13年くらい前に亡くなった奥様のことを掲載している記事を読んだ。
正直、申し訳ないのだが、評論家の川本さんという方は知らない。
それでも、その記事を読み入ってしまったのは、病気になった奥様との様子に心打たれたからだ。
病気がわかってから、いろいろ手を尽くしたが結局は快方に向かわなかった。
こうして、医師に見放された夕べも奥様は台所に立ち、黙々と料理を作られたそうだ。
「もう助らぬ 医師に見放されし夜も また黙々と豚もやしを作る妻 川本三郎」
奥様はどんな気持ちで豚もやしを作られていたのだろう。悔しさだったり、あきらめだったり、絶望だったり・・・。普通なら、全て、投げ出したい…作る気力なんてないはずなのに、いつもの日常と変わらず淡々と夕飯を作る。
川本さんは、どんな思いでそんな奥様を見守っていたのだろう、本当に切ない。
その後、奥様は病気の進行とともに車いすになっても、寝たきりになっても、弱音を吐かず、泣くことも当たり散らすこともなかったと川本さんは書いている。
そんな中で、川本さんは、歌の中に悲しみや苦しみを型に封じ込めていくことで気持ちが治まるようになったと。
この記事を読んで、逝く者の覚悟と見届けて残される者の気持ちの処し方について考えさせられた。
にほんブログ村
コメント